ワンピース

「あ、あの、黎明さん。今日、もし時間があったら、お買い物に付き合ってくれませんか?」
 とある週末の日。仕事を終えた寧々菓が、本日分の報告書を上官の黎明にそっと手渡しながら、恐る恐る言葉を放った。目線も合わさずに、明らかに挙動不審な態度を取っている。
「……は?」
 彼女の意外過ぎる提案に、黎明はしばし唖然として、部下と報告書を交互に見やった。
「今度、友達の誕生パーティーがあるので、新しいお洋服を新調しようと思いまして……」
「友達?」
 誰だ、そいつは……。
 真っ先にそう聞こうと思った自分がそこにいたことに驚いたが、とりあえず今は黙っておくことにした。
「そ、それで、あの……。よろしければ、黎明さんに、その……服を一緒に選んでもらえたらなーと……」
「……」
 しばし無言で圧力を掛ける。
「黎明さん?」
 再度、寧々菓が不安そうにこちらを見つめて聞いてきた。
「だ、ダメですか?」
「あー、別に構わねぇが……」
 特に断る理由もないので、黎明はとりあえず了承してみることにした。
 普段、コイツの買い物に付き合うことなど、滅多にねぇからな。たまには部下の要望を聞いてやるのも上官の務めなのかもしれない。
 しかしながら、興味本位で受けたその安易な決断を黎明は早々に後悔することになるのだった。



「オイ、菓子女。もう二時間も経ってるぞ。いくら何でも悩み過ぎだろ」
 黎明は呆れたように溜息を付いた。誰かの誕生パーティーとやらに着て行く服を選び始めてから、もうかれこれ二時間近くが経過していた。
 先程から何度も婦人服コーナーを行ったり来たりしている寧々菓を遠目に眺めながら、黎明はこの身動きが取れない現状を非常に恨めしく思うのだった。
「……で? どれにすんだよ?」
 ピンク色の可愛らしいいちご模様のワンピースと、若草色のチェック柄のワンピース。
 どうやら、最終的にはその二種類の服に絞ったようだが、未だにどちらにしようか決めかねているようだった。
「わー、どうしよう。どっちがいいかなー?」
 まるで彼女の大好物であるいちごチョコと抹茶小豆系のスイーツのような色合い。
「黎明さんは、どっちがいいと思いますか?」
 悩みに悩んだ挙句、困り果てた寧々菓が黎明に意見を求める。
「あぁ? ……んなこと、一々俺に聞くなよ」
 頭を掻きながら、そっけない口調で返答する。
「女の服なんて、分かんねぇっつーの」
 寧々菓が両手に持つそのワンピースを見ているだけで、なぜだか妙にイライラしたような不愉快な気分になってしまう。
 ……ったく、どこの誰に着て見せてやるつもりだか知らねぇが、いくら何でも舞い上がり過ぎだろ。
「そ、そんなこと言ったって……」
 二枚のワンピースを交互に眺めながら、寧々菓は尚も渋っている。どうしても自分だけではなかなか決められないようだ。
「別にどっちだっていいじゃねぇか」
 近くにあった椅子にドサッと腰を下ろすと、黎明は疲れ切った様相で天を仰いだ。
 長時間ずっと待たされ続けた理由が自分以外の誰かのためであるという現実が、彼にとっては一番面白くないことだったのかもしれない。
「な、何も、そんな風に言わなくたっていいじゃないですかー」
 寧々菓はふてくされたかのように、プイっと背中を向けてしまった。
 困ったのは、黎明。こんな風に不機嫌になってしまった彼女をなだめるのは、そう容易いことではないのだった。
「だから……!」
 勢いよく椅子から立ち上がって、声を荒げる。
「どっちでも似合うっつってんだよ! ……ったく、何言わせんだよ、このバカ!」
 思わずそんな言葉を口走ってしまった自分に気付き、少し焦る。それが照れ隠しなのか何なのかは、よく分からなかった。
「ほら、貸せよ」
「え?」
 振り返った寧々菓の手から、強引にピンク色のいちご柄の方を奪い取った。
「ちょっ、黎明さ……」
「一着だけだからな」
「え……?」
「もう一着は、自分で買え」
 ぶっきら棒にそれだけ言うと、黎明は寧々菓の頬を軽く抓った。いつも通りの光景だ。
「痛っ……!」
「ほら、さっさと行くぞ」
 ほのかにまだ温もりが残っているそのワンピースを一枚持って、スタスタと後ろのレジの方へと歩いて行ってしまう。
 そんな彼の後ろ姿をしばし呆然と見つめている寧々菓。
「チッ、何やってんだよ、俺は……」
 ふと、そんな言葉が溢れてくるのが分かった。沸き上がるこの苛立ちにも似た感情は、一体何なのだろうか。
「あのっ、ありがとうございます。黎明さん。これ……」
 後ろからおずおずと追いかけて来る寧々菓の声に、無意識のうちに身体が熱くなる。
 なぜだろう。今日はもう少しだけ、アイツの声を聞いていたい気がする。
「分かってんだろうなー。菓子女。今日の夕飯は、お前の奢りだからな」
「え?」
「この俺の貴重な時間を散々奪った礼だ。今夜はたっぷりと奢らせてやるから、感謝しろよな」
 ニヤリと意味深な笑みを浮かべて買い物を済ませる黎明のとんでもない台詞に頭を悩ませる寧々菓。
「ちょっと、待ってくださいよ、黎明さん……! 私、そんなお礼、要りませんってばー! ……っていうか、そもそもなんか文脈おかしい……!」
「いいから早くしろよ。こっちはお前に散々お預け食らってたせいで、腹減ってんだよ。せいぜいこの俺に美味い飯を食わせてくれよな。菓子女」
「そんなぁー! せめてもう少しリーズナブルなお店にしてくださいよー!」
 寧々菓は慌てて高級レストラン街へと向かう黎明の後を足早に追いかけながら抗議する。
 悩みに悩み過ぎて、もうすっかりくしゃくしゃになってしまった二枚のワンピースが入っている紙袋をしっかりと握り締めたままで……。


Fin.


2023.6.11

結局、寧々菓はその後、黎明に散々付き合わされて散財してしまったらしいです。恐るべし上官……!
あの二枚のワンピースは、果たして誰のために選んだものだったのかも気になるところです。

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