皇家の未来を思えばこそ

「師匠」
 食事中、恋雀がふと煌龍の方に向き直って声を掛けた。
 ここは、緑焔。火眩の国の遥か南方に位置する絶海の孤島。生まれながらにして皇家の天才とうたわれた退魔霊武術の最高師範、煌龍の住処だ。
 他国に比べてやや空気が薄いという過酷な環境ではあるが、大自然と野生の宝庫であり、ここでの暮らしも結構気に入っていた。
「ん?」
 蒸かしたばかりの熱々の肉まんを明々に手渡してから、煌龍はゆっくりと恋雀の方に向き直った。手にした食器をカチャンと食卓の上に置いてから、恋雀はスッと両手を膝の上に乗せて言った。
「師匠は、何で皇家の次期当主の座を、自分から断ったんだ?」
 大好物の激辛麻婆炒飯をおかわりしようとしていた煌龍は、思わず目を見開いて硬直した。
「……」
 ジッとその場に正座したまま真っ直ぐにこちらを見つめてくる愛弟子の視線。まるでお互いに相手の言葉を待っているかのようなピリピリとした長い沈黙が空気を伝う。
「……誰から聞いた?」
 煌龍は少し考えてから、まずは一番最初に気になった疑問を投げかけた。
「皆言ってるヨ。ライジュもビャクレイも。師匠ホドの実力がアレバ、皇家の未来ヲ託されていてモ、何ノ不思議もないヨ」
 恋雀がなぜいきなりそんなことを聞いて来たのか。その理由が分かった気がした。昼間、彼らと会ったからだろう。そして、おそらくは……。
「なるほどな」
 恋雀の答えを聞いて、煌龍は一人納得したように呟いた。適当に返答していいような雰囲気ではない。それは彼女の真剣な表情を見れば一目瞭然だった。
 しかし、あの話はまだ早いか。
 隣でもぐもぐと満足そうに肉まんを頬張っている明々をチラっと見やってから、煌龍は小さく肩を竦めた。
「あー、彼らは皇家の七代目当主候補だからねー。先代を通して、きっとあの話も聞かされてるんだろうな」
「何ダ? アノ話って……」
 恋雀がグイっと身を乗り出して聞いて来る。まさに興味津々といった感じの様相だ。
「……」
 これは少し長くなりそうだな。何かを考えこむように腕組みをする。
 莱樹と白零。その名は皇家を離れて久しい自分でもさすがに把握していた。近年、火風火や猫猫の台頭によって、火眩の周辺諸国の状勢は随分と様変わりしたと聞く。
 皇家だけではない。最近では、緑焔の海港付近で玉珠鎖の特殊部隊・呉乃の巡視船を目にする機会も増えたような気がしていた。それだけこの地の治安が昔に比べて悪くなっているということなのだろうか。
 煌龍の神妙な面持ちに気付いた恋雀が、慌てて両手と首を左右に振りながら弁解する。
「あ! 別ニ……! 今ノ当主に不満がアルワケじゃナイケドナ!」
 とっさに卓上に置いてあったお茶を一気にゴクゴクと飲み干してから、手で豪快に口元を拭う。
「アハハ! 大丈夫だって、恋雀。そんなに慌てなくても、藍泉くんには言わないからサ」
 現当主の六代目、藍泉くんは僕にとってもお気に入りの遊び相手だ。不満などこれっぽっちも抱いてはいない。それは分かっていた。
 しかしながら、今の皇家の背後に渦巻く何やら陰謀めいた影があることを恋雀も少しずつ感じ取っていたのかもしれない。
 そろそろ伝えてやるべきか。恋雀にはいずれは知っておいて欲しいことだしね。
「明々」
 隣で緑焔名物のお団子を口一杯に頬張っている相棒のパンダ娘に声を掛ける。
「何?」
「ウーロン茶、おかわりもらえる? 恋雀の分もネ。頼むヨ」
 たっぷりと口の周りに餡子を付けた明々は、煌龍にお使いを頼まれて嬉しそうにコクッと頷いた。
「分カッタ、待ッテテ」
 タタタッと軽やかに台所の方へ駆け出して行く彼女を遠目に見送ってから、煌龍はゆっくりとスープを啜る。
「師匠?」
 恋雀がそわそわした様子でこちらの顔色を窺ってくる。さて、どこから話そうか。少し迷う。
「恋雀はさ」
「何ダ?」
「皇家で退魔霊武術を学ぶ理由は、何?」
 まずは質問された答えを導き出す前に、確認しておきたいことがある。皇家に対する想いの強さだ。
「私は……」
 一瞬、戸惑ったような素振りを見せたが、恋雀はすぐに真顔で拳を胸に当てて返答した。
「もっと強くなる為ダ。自分のコトも周りのコトも守れるヨウナ……。強い自分になる為」
 その気持ちに偽りはない。真っ直ぐに自分を見据える彼女の視線からは、揺るぎない強い決意が伝わってくる。
「師匠は、何でダ?」
「僕も同じかな。自分の意思を継いだものを自分の力で育てたいと思った。……けど、皇家の次期当主として認められる存在は、本家直系の男子のみ。どんなに優れた才能を持っていても、どんなに熱心に皇家の未来を思っていても、血統を重視するだけの今の家訓が基盤のままでは、自分が認めた弟子を確実に後継者にするための保証がない。小凜ちゃんがいい例だ」
「シャオネェが?」
 直後、何かを思い出したかのように口を噤む。
「そうか、先代当主ノ、娘……ダカラ」
 皇家の正当な血縁でありながら、女性であるが故の宿命。それはすなわち本家直系の小凜のみならず、分家生まれの恋雀にとっても非常に重大な意味を持つ事柄だった。絶対的な鉄の掟がもたらす負の遺産……とでも言うべきか。
「あの時、僕はそれを当時の当主に提言した。今のままでは皇家の未来は危うい。家訓を改訂すべきだとね。けど、受け入れられなかった。回答では一時保留という名目だったけど、否定されたのと変わらない。当主の険しい表情を見て、僕はそう確信した。だから退いた。それだけのことさ」
 先祖代々続いてきた家訓や掟は、そう簡単に変えることは出来ないってね。
「皇家ノ未来……」
「恋雀だって、今の皇家の家訓のままでは、どう足掻いたって次期当主の座には就けない。そのことを憂いたことはあるだろ?」
 分家育ちのお前なら、なおさらな。
「……」
 僅かに顔を強張らせた恋雀の心境をすべて理解した上で、あえてそう尋ねた煌龍の真意。それこそが、この話の神髄なのだ。
「モチロンダ。私モ……単に血統を重視するダケノ今の家訓には反対ダ」
 正直、悔しい気持ちはまだ残ってる。ライジュの言い分を認めたくナイ気持ちもナ。
 ケド……。グレンやクレハに言われテ、少しは自分でモチャント理解するコトが出来タ。
「皇家には、本家でなくてモ、男子じゃなくてモ、優秀な人材ハ、タクサンいるんダカラナ」
「その通りだよ。彼らの未来を思えばこその辞退だ。僕が当主にならなかったこと、お前が気にする必要はないし、気に病む必要もない。とりあえずは今まで通りでいい。いつか現当主の六代目、藍泉くんが……いや、僕たち全員で、皇家の現状、未来を変えていけばいい」
 そう言いながら、煌龍はゆっくりと恋雀の傍に近付いて腕を伸ばした。さっきの話、果たしてどこまで伝わったのか……なんて、直接聞くのは野暮ってもんだよネ。
「師匠……?」
 そのまま軽く彼女の頭をポンポンと叩く。滅多に見せない素顔と本音。恋雀は少し戸惑う。
「だから、今は我慢だ。恋雀。力を付けて時に備えろ」
 お互いの表情は見えない。それでも、今、相手がどんな表情をしているのか……なんてことは容易に想像が付いた。
「分かっタ」
 長い沈黙の後、恋雀は煌龍の心中を酌み、しっかりと頷いた。



「そうか。ダカラ、アイツは……」
 ふと、煌龍との会話の中で、恋雀はぼんやりと一つの仮説を想像していた。
 私、最初、ライジュに対して、ずっと思ってタ。何でライジュは、本家直系の男子のクセニ、次期当主になりたがらないんダロウッテ。
 私がドンナニ努力してモ、絶対手に入らないモノ、アイツは始めカラ全部持ってるクセニ、何でソレを受け入れヨウとしないんダロウッテ。
 勝手に本家を飛び出しテ、勝手にグレンの弟子になったりしテ、アイツを呼び戻しに行っタ時「跡を継ぐ気はない」って、ハッキリ言われて……。頭の中、真っ白になっタ。
 ライジュを責めたコトもアルし、グレンに八つ当たりしたコトもアル。
 ……ケド、今ナラ、師匠の話を聞いた今ナラ、少しダケ、ホンの少しダケ、アイツの気持ち、理解出来たヨウナ気がするヨ。納得はしてナイケド、つまりはそういう、師匠と同じコト、思ってタカラ……なのカモしれないッテコト。



「さ、修行を始めようか、恋雀」
「!」
 ふいに現実に引き戻されて、恋雀はハッと息を呑んだ。慌てたように周囲を見渡す。
 先程までほんの少しだけ不安定だったであろう煌龍の声音は、徐々にいつもの調子を取り戻して来たらしい。今の皇家の天才は、軽やかに弾んでいる。
「今日は明々も一緒だ。手加減はナシだからな。覚悟しとけヨ」
 意地悪く口元を綻ばせて手招きする彼の様子を見て、恋雀は軽く笑みを浮かべた。
 ヨカッタ。師匠、少しは元気にナッタみたいダナ。
 気が付けば、いつの間にか二人が待っている緑焔の高原へと駆け出していた。久しぶりに師弟水入らずで思いっきり戦える喜びに、恋雀の心は増々高揚する。
「望む所ダ!」


Fin.


2022.9.17

煌龍もたまには素直に本音を吐露したり、弟子に寄り掛かってみてもいいと思うんだ。
それにしても、恋雀の言葉の訛り表現は難しい。

 Top火風火の首領と蓮夏の姫君