観覧車
「それでは、今から昼12時までを自由時間とする。解散!」
玉珠鎖の副官である桐流の声と同時に、世界各国の司法執行機関に所属する魔導司法官たちは、わーっと一斉に四方に散った。
アトラクションの待機列に並ぶ者。売店に駆け込む者。
館内の賑やかな雑踏に紛れ、辺りはたちまち静かになった。
「あー、かったりぃ……」
一人その場に残った呉乃の総司令官、黎明は、ふぁぁぁ……と盛大に大あくびをしながら、近くのベンチに腰を下ろした。
「遊園地なんて、魔導司法官にもなって来る所かよ」
気まぐれな地影の提案で、今年の玉珠鎖の旅行は遊園地に決定した。
常日頃から過酷な任務に追われてばかりでなかなか休暇が取れない寧々菓たちは、この滅多にない娯楽に大喜びだったが、黎明にとってはどうにも馴染み辛い場所のようだ。
以前、故郷で暮らす年の離れた妹たちにせがまれて、何度か遊園地に連れ出されたことがあった。そのとき、彼女たちのお守に散々付き合わされたせいで、この手のイベントにはなぜか昔から苦手意識を抱いてしまうようになったのである。
「眠い」
見上げた真っ青な空には、白い雲が悠々と泳いでいる。
愛用のマントで顔面を覆い、ゴロンとその場に横になると、黎明は周囲の雑踏から孤立しようと静かに目を閉じた。
「あれ?」
しばらくして、フッと甘い香りが漂ってきた。気が付けば、視界に飛び込む一人の女の顔。
「何やってるんですか? 黎明さん」
「菓子女」
同僚の呉乃準二等級、寧々菓。自分とは、上司と部下の関係だ。
「別に。特に何もすることねぇから、昼寝」
怪訝そうに首をもたげ、彼女の方を軽く睨む。
「せっかくの遊園地なのに、何もしないんですか? そんなの、もったいないですよ。旅費の無駄遣いです」
「興味ねぇよ」
遊びたい盛りの若者にはさぞかし魅力的な場所なのだろうが、たまっている仕事を放り出して一日中遊び惚けるなど、どうかと思う。
そういうのは暇な奴らだけにして欲しい。黎明は心の底から発案者に抗議してやりたい気分だった。
「……」
少し離れた場所に見える観覧車。なぜかふとそれが目に留まった。
「黎明さん?」
寧々菓が一緒になって空を見上げる。
「どうしたんですか? もしかして、あれに乗りたいとか?」
不意に、寧々菓が鋭く黎明の心境を悟り、口にした。
「別に」
「いいえ。嘘付かないでください。黎明さん、ずっと見てたですよ。さっきから」
「うるせぇなぁ。そんなもん、興味ねぇって言ってんだろ。大体、お前には関係な……」
「私は……」
頬を染めて、寧々菓は言った。
「乗りたいです」
風になびく彼女の髪の香りが、ふわりと甘く漂った。
「私は、あれに乗りたいです」
再度、同じ言葉を口にする寧々菓。今は黎明の答えを待つ時間なのだろう。二人の間にしばし無言の時が流れた。
「だったら、お前が一人で乗って来りゃいいだろーが」
沈黙を破った彼の台詞は、本音とは正反対の想いだった。
だって、そうだろ? 今、コイツとあれに……観覧車に乗ったら、きっと俺は……。
「嫌ですよ。一人じゃ、つまんないです。一緒に乗りましょう」
腕を引っ張られて、身体が少しずつ前に引きずられる。
「オイ、何やってんだ。菓子女」
「一緒に来てくれますか?」
「放せ。袖が伸びる」
なおも激しく続く攻防戦。想いは交差するばかりだった。
「……」
いいのか? もし、俺がお前と一緒にあれに乗ったりしたら……きっともう、触れずにはいられないぜ?
そう言おうと思ったけど 止めた。突然それをやったときの、この女の反応が見てみたかったから。
「分かったよ。行ってやるから、人の上で暴れんじゃねぇよ」
「ホントですか!? やったー! ありがとうございます! 黎明さん」
無邪気にはしゃぐ彼女の笑顔に、早くも理性崩壊の不安を感じて焦る。
生まれて初めて二人だけで乗る鉄の密室、観覧車。
それは、まさにチューするためだけに作られたであろう乗り物。
「だったら、早く乗りに行きましょう! 急がないと、自由時間、終わっちゃいますよ!」
「……って、まだ始まったばかりだろ」
そう。本当の自由時間は、これから始まる。
Fin.
2020.3.9
観覧車に乗った二人は、その後一体どうなったのでしょうか。