不法侵入?

「ただいまー!」
 本日分の仕事が終わり、大好きなお買い物も済ませてから、夜遅くに自宅に帰って来た寧々菓。
 寮の玄関を開けると、いつも付いているはずの電気が消えていたので、寧々菓は不思議に思った。
「あれ?」
 ふと首を傾げて、辺りを見渡す。
「変だなぁ」
 やけに静かですね。まだ誰も帰って来てないのでしょうか。
 彼女が暮らす寮は、職場からわりと近場にある女子寮だった。玉珠鎖や呉乃の同僚が大勢で共同生活を送っているが、所属する部署や階級によって生活習慣も大きく異なるため、平日の夜はほとんど人と顔を合わせる機会がない。
 おまけに、本来であれば寧々菓の部屋は個室なのだが、今はちょうど寮の改装工事期間中らしく、しばらくは隣室の同僚とルームシェアすることになっていた。
 それなのに、部屋は真っ暗。
「ま、いっか」
 あまり物事を深く考えない性格の寧々菓。一人納得した様子でそう呟くと、靴を脱いでリビングへと向かって行った。
 パチンと台所の電気を付けて、奥にある冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出す。
 そして、それをグッと一気に勢いよく飲み干した。
「あー、美味しい! 生き返りますー!」
 ついでに、ポケットの中から小さないちごチョコを取り出すと、勢いよく口に頬張る。
 途端、じわりと甘酸っぱい香りが立ち込めて、寧々菓は満足そうに口元を綻ばせた。
「うーん、やっぱり時の見る夢の限定スイーツは最高ですねー!」
 大きく伸びをして身体を解す。テーブルの上にカバンを置き、部屋の窓をガラッと開けた。
「わー、いい風」
 秋のさわさわした心地よい風が、外からスッと吹き込んで来ては、寧々菓の深みかかった緑色の髪をなびかせる。
「さすがに今日も疲れました。黎明さんは相変わらず人使いが荒すぎますし」
 近くにあった客間のソファーに、制服のまま勢いよくドサッと引っ繰り返った。そのまましばし大の字になって天井を見つめている。
「ふぅ」
 スカーフを軽く解き、壁に掛かっている時計を眺めると、もう夜の九時を回っていた。
「少し、寝ようかな」
 ここ最近、残業明けでろくに睡眠時間も取れていなかったため、疲労が究極にたまっていた寧々菓。
 お風呂に入るのは後回しにしようと考えて、そのままウトウトとソファーの上でまどろんでいるうちにいつの間にか眠りに就いてしまった。


「ん……」
 ふと、何かの物音が聞こえて、目を覚ました。
 気が付くと、目の前には呉乃の上官である黎明の顔があった。
「よぉ、やっと起きたかよ」
「!?」
 ガバッとソファーから起き上がって、魚のようにパクパクと口を開閉する。
「れ、黎明さん! どうしてここに!?」
「……ったく。お前、無用心だなー。こんな時間にそんな格好しながら、窓も開けっ放しで転寝かよ」
 黎明は、素っ頓狂な声で質問した寧々菓の問いには答えずに、呆れ顔でそう言った。そのまま静かにソファーの横を通り過ぎて、奥の窓をガラッと閉めてからカーテンを引く。
 そして、再度、彼女の方に冷たい視線を向けた。
「あ、あの、何で……」
 尚も頭の中が混乱していて、何が何だか分からずにいる寧々菓。
 とっさに今の自分が寝起きで着衣も髪も乱れていることを思い出し、慌てて両手で前を隠した。
「お前、今日、ルームメイトは?」
 ふいに、そう言葉を振られて、寧々菓はキョトンとした。期間限定でルームシェアをしている隣室の同僚のことを言っているのだろう。
「え? あ、あの……多分、まだ仕事。今夜は、遅いと思います」
 帰宅したときに部屋の灯りが点いていなかったことを思い出し、寧々菓は推測してそう答えた。
「玄関とか、窓の鍵は?」
「あ、えっと、その……。多分、まだ開けっ放し」
 ふぅっと大げさにため息を付いて、黎明は寧々菓に詰め寄った。
「『多分』じゃなくて、完全に開いてた。それに、俺がいくら呼び鈴を鳴らしても、全然応答がなかったよな?」
「え、あ……」
「もし、ここに侵入して来たのが俺じゃなかったら、一体どうするつもりだったんだ?」
「え?」
 いくぶん怒っているような口調で言われて、寧々菓は少しずつ後ずさった。
「どうって……」
「前に言ったよな? 例えどんなに早くても、帰って来たら必ず玄関の鍵は閉めろって。お前の相方だって、ちゃんと部屋の鍵とか持ってんだろ?」
「あ、はい。一応」
 入寮したときに各自二組ずつ合い鍵を渡されているはずだから、ドアが施錠されていても特に問題はないのだ。
「それから、お前の部屋はすぐ傍の大通りや向こうの男子寮からも丸見えなんだから、この部屋の窓は夜になったらしっかりカーテンまで閉めろってな」
「う……」
 まるで、子どもをしつける親のような口調で言う黎明の言葉に、少しずつ今現時点での状況を把握し始める寧々菓。
 そういえば、今朝の朝礼でこの辺り一帯に空き巣や暴漢などの犯罪者が出没しているらしいから、十分注意するようにと玉珠鎖の副官からきつく言われたことを思い出す。
「まったく。俺がたまたま通りかかったからよかったものの、下手すりゃ、勝手に変質者がお前の部屋に入り込んで来るかもしれねぇんだぜ。分かってんのかよ」
 ゆっくりと距離を縮められ、やがて窓際へと追い詰められる。そのままぶつかりそうなくらい顔を近付けられた。
「えっと……」
 身動きが取れないまま、寧々菓は慌てて視線を四方へと泳がせた。
 確かに、いくら日頃の過酷な任務で鍛えているとはいえ、突然現れた悪漢に無防備な寝込みを襲われてはシャレにならない。
「どうなんだ? 菓子女」
 諭すような口調でジッと睨み付ける黎明の険しい表情を見て、それが今の自分に対しての忠告だと気付いた。
「ごめんなさい」
 呉乃の準二等級である寧々菓がその危険性と事の重大さを理解するのに、そう長くは時間が掛からなかった。
 黎明はそんな彼女の額を指で軽く小突いた。
「……ったく、あんま世話焼かせんなよな。はっきり言って、面倒見きれねぇぞ。今のお前のやってることはよ」
 唇を噛み締めたまま、寧々菓はジッと俯いたままだった。
「俺だって、そうそういつまでもお前のことばかり、一々気に掛けてもいられねぇんだからよ。それくらいちゃんと自覚しろよな」
「はい」
 反省したように小さく頷くと、黎明はポンポンと彼女の頭を軽く叩いた。先ほどまでの厳しい口調からは一変して、穏やかな声音になる。
「ま、分かったんなら、それでいいさ。別に何事もなかったわけだしな」
 そう言って、黎明は彼女から少し離れると、片手を上げて軽く振りながら背を向けた。
「じゃ、俺は帰るから。ちゃんと鍵閉めてから寝ろよー」
「えっ、もう?」
 とっさにそう言い掛けて、ハッと口ごもった。言ってはならないことを口走ってしまったかもしれないと慌てて後悔するも、時すでに遅かったようだ。
 黎明の視線が、意地悪く寧々菓のそれとかち合う。
「何? もしかしてお前、俺にこのままずっと傍にいて欲しいとか思ってるわけ?」
「!」
 頬を紅潮させたまま立ち尽くしている寧々菓に、黎明は意味深な口調で続ける。
「俺は地影や桐流に頼まれて、入寮者連中の様子を確認しに来ただけだぜ。お前一人を特別扱いしてやるわけにはいかねぇな」
 楽しそうにそう言われると、なぜか無性に癇に障るのはなぜだろうか。
「な、ななな、何言って……」
 寧々菓はプルプルと拳を震わせながら、彼を睨む。
「ま、別にいいぜ。見回りはお前の部屋で最後だしな」
「ちょっ……!」
 まるで気が変わったかのように、黎明はゆっくりと寧々菓の傍に歩み寄った。
 そのままドサッとソファーに腰を下ろすと、片手で軽く手招きをする。
「ほら、来いよ、菓子女。来客時には丁重に茶菓子を振舞ってもてなすのが作法ってもんだろ? 早く用意しろよ。そこの後ろにある茶箪笥の一番奥に隠しているやつな」
「だっ、誰が客人ですか! ……っていうか、何で私のお菓子を勝手に……!」
 適当にテーブルの上にあった胡麻風味のお煎餅を摘み食いしながら、上司は尚も部下の抗議を無視して指図する。
「いいから早くしろよ。今日も一日中ずっとお前の面倒ばっか見てたから、昼飯食いそびれて腹減ってんだよ、俺は」
 そのあまりの横暴さ加減に寧々菓は耳まで真っ赤になった。
「もう、黎明さんってば、いい加減にしてください」
 ムキになって、黎明に掴み掛かろうと手を伸ばした瞬間。
「キャッ!」
 思わずバランスを崩して、そのまま黎明にもたれ掛かるように床に倒れ込んだ。その反動で、彼が手にしていた煎餅の欠片が辺り一面に散らばり、二人はすっかり粉まみれになってしまったのだった。
「いったーい!」
「お前なぁ、いきなり何すんだよ、バカ!」
「それはこっちの台詞ですよ! うわーん、私の大切なお菓子がー! ひどい! どうしてくれるんですかー!」
 この状況でもなお、お菓子のことばかり気にする寧々菓に、黎明はピクピクとこめかみを引き攣らせて頭を抱えた。
「チッ。まったく、この菓子女が……。後で覚えてろよ」
 バタバタと騒がしいその様子を一部始終眺めている隣の部屋の視線。
 今から数時間前に帰宅し、部屋中の灯りを消したまま仮眠を取っていたルームメイトが静かにジッと彼らを面白そうに観察していたことは、まだ誰も知らない。
 そして、明日にはこの一連の騒動に加えて、二人の妙な噂が玉珠鎖や呉乃の魔導司法官たちに一斉に広まることになるのだった。


Fin.


2020.2.10

寧々菓のルームメイトは、彼女が帰って来る前から部屋にいたというわけですね。
これは明日が大変だー!

 観覧車Top間接……?